五月人形について - 人形の山川|長野市

五月人形について

五月人形は、男の子が誕生してから、人生一生共にするおまもりになります。男児の厄を払う分身であり、子どもの健やかな成長を願う親の祈りのかたちであると思います。
内飾りは、鎧や兜に身を包み、病気、ケガから身を守るとされ、屋内に飾ります。外飾りは、男児の誕生を示すため、鯉のぼりや武者幟を屋外に飾ります。その昔、外飾りで男児の誕生を神様に知らせると、内飾りに神様が宿ると言われていました。
当店の五月人形は、戦国時代(戦争の時代)のものではなく、それ以前(平安、鎌倉、南北朝時代)の神社仏閣に奉納されたとされる鎧を参考に、現代の技術、そして飾り物としての造形にデフォルメしお節句に最もふさわしい鎧兜を扱っております。戦闘用ではなく、主に儀式用として使用されていたことから、装飾を凝らし芸術性が高いことが特徴です。また、この時代の鎧は国宝や重要文化財に多く見られます。

甲冑の歴史、戦いの道具から芸術文化への変化
武具甲冑、そのルーツをたどれば戦争すなわち争いごとに用いられた道具にすぎませんでした。
大陸から甲冑の文化が伝わり、平安の世を経てそれは日本独自の美意識が融合した一つの芸術文化へと発展し、鎌倉時代に彫金・染色・皮革すべての工芸の分野において最高の頂に登りつめました。当時の権力者が、儀式や祭典などに着用する晴れ着として制作させたのです。
しかし、その後戦国時代に入り、再び工芸の頂点を極めることはありませんでした。敵を威嚇する奇抜な意匠となり、実用本位の戦いの道具に衰退していったのです。

平安・鎌倉期の大鎧は、工芸の水準の高さから国宝として数多く指定されており、国内ばかりでなく海外でも、その評価は非常に高いものがあります。
ご紹介の作品は、これらの国宝甲冑の美しい造形と配色をベースに、力石甲人・力石鎧秀独自の芸術性が加えられております。日本人の美意識が平成の世に見事に甦りました。
いうまでもなく、お節句はお子様のお祝いであり、五月人形は身を守るお守りです。このような芸術性豊かな作品を飾ることは、単に美しいものを鑑賞するというだけではなく、お節句の意味としても理にかなっていることといえます。

美しい日本の伝統文化、端午の節句
端午の節句は、五月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、のちに五月五日となりました。特に季節の変わり目であるこの日に、病気や災難を払おうと、昔から邪気を払う力を持っていると信じられていた菖蒲を軒にさして軒勝負、お風呂の中に入れて菖蒲湯、枕に菖蒲を挟んで菖蒲枕などが行われてきました。これらは奈良時代から現在まで続いている端午の節句の奥ゆかしい風習です。
この端午の節句が男の子の祝日となったのは江戸時代に入ってからです。菖蒲が「武をたっとぶ」という尚武(しょうぶ)と同じ発音であることから、いかにも男の子の祝いらしいと武家社会に好まれ、旗・差物・幟を門口に飾って、勇ましくお祝いをしたものですが、それが武家ばかりでなく庶民一般にも、だんだんとこの風習が広がっていったのです。
現代では、鯉のぼりやむしゃ幟を立てたり、部屋の中にはよろいかぶと(身を守る防具=お守りとしての意味)や武者人形などの五月人形を飾ってお祝いします。

金びょうぶと緑のもうせん
金色は、永遠の輝きを放つ太陽の象徴として、古今東西、最高の色として人々の心を魅了し続けています。日本においても、古来より、金属に鍍金したり、金箔に加工して建造物や内装にも使われてきました。豊かに実った稲穂をも象徴しており、特に結婚式などのおめでたい席には、金箔を貼ったびょうぶが欠かせません。四曲や八曲の折りたたみになっているのは、四方八方から、つまりあらゆるほ方向から照らされることによって、太陽の無限のパワーにあやかるためです。
緑色は、若葉の萌え出る色で、強い生命力を象徴しています。また、青竹の色で、天に向かって真っすぐ伸びるところから、健やかにすくすくとまっすぐに育ちますようにとの親の願いでもあります。
単語の節句は、わが子が心身ともに健やかに成長するようにと願う厳かで神聖な行事ですから、五月人形を金びょうぶと緑色のもうせんで飾ってお祝いすることは自然なことであるとともに、とても意義深いことなのです。
美術工芸飾りは、その形の美しさ・色彩のきれいさが一番引き立つように、あえて鎧櫃(よろいびつ=鎧の入れ物)の上に載せない、あくまでもシンプルな屏風だけの飾り方です。いつまでも飽きることなくすっきりときれいに鑑賞できます。

五月人形 鎧
日本の伝統的端午の節句、日本人には大切な伝統文化の一つです。本来、鎧・兜は武士の晴れ着です。平安、鎌倉、室町期に大将のファッションとして素晴らしい甲冑が創られ、今世界的に日本の国宝甲冑は世界に類がない美術品として絶賛されています。お節句で求める鎧・兜も、お子様のためと大人が美術品として両方で楽しむものです。お部屋の中に美しい色目の甲冑をインテリアとして飾ったとき、きっと芸術の風が心を和ませることでしょう。そして美しいものを愛せる、やさしく贅沢な「遊び心」持ち続けたいものです。

金物類24純金鍍金
力石作品の兜鎧の金色の金物は特殊合金に一度銅をメッキして純金メッキしてありますので耐久性に優れ、いつまでも美しく輝きます
本物の国宝甲冑も鍍金(ときん)というメッキが施されています。
金鉱山の副産物で水銀が産出されましたがその水銀に金を含ませ、
土台となる青銅の上に胴の刷毛で塗り、火であぶることによって金を付着させました。これを金アマルガム方といいます。この方法は古く古墳時代から用いられた技法です。
他メーカーでは、金箔を使ったよろいかぶともみかけますが、本来金箔は木材(建築物等)や紙(屏風等)など金属以外のものに金色を施す技法です。
金具はメッキをする前に切断面を丁寧に研磨していますので表面は滑らかで、とがったところやざらつきはありません。お子様が触ってけがをすることがないようにとの配慮でもあります。作者の思いが伝わります。

編み目と裏側の処理の綺麗さ
五月人形 兜
糸(組み紐)の編み目は、まるで魚のうろこが重なっているように、隣同士の糸の重なり具合がきれいです。幅が約1㎝の組み紐を直径約3㎜の穴に通して仕上げてみます。
編み目の綺麗さは、鎧や兜の基本であり、職人の技術の見せ所です。その部分が綺麗かどうかだけではなく、兜のしころ(後ろの部分)の形状に大きく影響を与えます
小札頭(こざねがしら=金具の頭の部分)が、糸の上部からあまり出ていないところにもご注目ください。綺麗さのポイントです。
組み紐を小札(こざね=金具)に通すときにどこかにつなぎ目ができます。通常は制作時間の短縮でコストを下げるために見えない裏側で組み紐を切断して糊付けがしてあります。
たとえ裏側でもひっくり返せば見えるところですから、すぐれた作品はつなぎ目がわからないようにきれいに処理しています。これは袖だけではなく、兜の裏側や草摺の裏側も同じです。こだわりの職人ならではの一流の仕事です。

鉢裏の刺子
写真は兜鉢を裏側から撮ったものです。赤い布に刺し子を施し、浮き張りにしています。後ろ側や裏など見えないところにも丁寧な仕事をしているのが一流の証です。忍緒の結び方も力石甲人・鎧秀作品は本格的です。

伏組(ふせぐみ)と小縁(こべり)
左回りの矢印状に見える規則正しい模様が伏組です。韋所の周囲はこの伏組を配し、その外側に赤い小縁を配するという時代考証に忠実な作りです。兜の後部(しころと呼ぶ編み目の所)も富士山のすそ野のように広がりが見事です。

です。それぞれの色には意味があり、当時の武将が自分の志を色で荒淡、甲冑氏にオーダーメイドで作らせたのです。
平安・鎌倉期の鎧兜の代表的な色目
  • 赤糸威

    赤は活力・すべての生命の源を表す太陽の色です。現存する国宝鎧に最も多く使われています。また、魔除けの色でもあり神社の鳥居やひな段の毛せんが赤いのもそうです。
  • 紫糸威

    聖徳太子が、冠位十二階の制度を設けた時、最高の位の象徴として定めた色です。高貴な色で房や菱縫いの赤色との配色の対比が見事です。
  • 萌葱糸威

    萌葱(もえぎ)とは、植物の目が萌え出る色、すなわち強い生命力をあらわします。若武者が初陣に好んで使用した色彩です。
  • 白糸威

    純白はほかの色に染まらない、すなわち自分の意志を貫くという「何語後にも動じない強靭な意志」を表現しています。とても気品のある色で別名卯の花威とも呼び、実物にも多く見られます。
  • 浅葱糸威

    まさに晴れ渡り澄み切った大空のように大きな心を感じさせます。厳島神社に国宝でこの色目の大鎧(浅葱綾威大鎧)が存在します。日本人の美意識を感じます。
  • 紫裾濃

    菖蒲の持つ色彩をデザインした色目です。菖蒲は薬草としても優れているところから魔よけの意味、そして尚武に通じるところから多くの武将に愛用された色彩です。

石川潤平作品は、歴代のアメリカ合衆国大統領に贈られ、愛好されている価値ある作品です。
笹目技法
薄済を重ねて濃淡をつけながら、片目で50本以上の筆をいれ、瞳を表現することによって、目に奥行きとやさしさが生まれます。また見る角度によってさまざまな表情が楽しめます。

人形彫刻作家 磊(RAI)作品は、その大きくデフォルメされた形が印象的です。たぐい稀な観察眼で人体の骨格構造を知り尽くした磊だからこそ、人にはあり得ない形がその存在感を逆に大きく感じさせているのです。内面から滲み出る心の穏やかさ、平和で安穏を願う気持ち、それらが形となって表れているのです。
本物志向とは
一般的に「本物志向」という言葉は、「本物に忠実に」あるいは「本物に少しでも近づく」といった意味でつかわれていることが多いようです。これはこれで結構なことですが、人形の山川ではもっと深い意味で使用しております。
普通言われる「本物」とは、昔(過去)に存在した優れた「物」を指します。甲冑でいえば鎌倉時代の国宝鎧もそうですし、ひな人形でいえば各地の博物館に展示してある江戸期の作品などです。
これらは、いずれも他に類をあまり見ない、たいへん貴重なものです。しかしそれらに似せてそっくりに作ることができたとしても、それは単に模倣であり、それ以上の芸術性や創作性はありません。言い換えれば「過去志向」です。
本当の意味での本物志向とは、昔の「本物」の優れた技術、造形は積極的に取り入れ、現代の最高水準の技術、素材を用い、作者の独創性、芸術性を十分に活かして制作されるものであり、後世から振り返ったときに確かな存在感を持って迎えられるような作品作りを目指すことなのです。数百年後の未来の博物館に展示されるようなもの、つまり「本物」になることを目指すことなのです。
いってみれば「未来志向」です。
人形の山川では、そういう「本物志向」の人形を扱うという意味で本物志向の人形専門店とうたっています。